マンションの中庭はあまりに広いため、中庭の中に入れ子のようにマンションが建ち、鳥海さんがそこに引っ越してきた。四階建ての壁面全体がスライド式のドアで、ゆっくり音をたてて開くと、エントランスから彼女が出てきた。どんな様式も行き着くところまで行くのよ、と鳥海さんが言う。今夜はゆっくり積もる話をしようと約束したきり、彼女もマンションも見失ってしまう。谷のような中庭はその特性を生かして最新の放逐型刑務所になっている。ここで囚人は、閉鎖した谷の中にいる限り自由にふるまえる。看守と少女が雪かきをしている。その様子を仲間と見ていると、少女が看守に雪をかぶせ、密かに殺害してしまった。
rhizome: 入れ子
3D印刷された競技場
空軍を退役しコックをしている私を、彼は二人乗りステルス機のパイロットとして雇い入れたいと申し出る。ホテルのフロントに、囚人服風のTシャツが届けられる。これを着ても、彼の思い通りになるつもりはない。その意思表示のため、私は三角形の小型機に彼を乗せ、ぎりぎり海面をかすめて飛び、ブロッコリーの内部を曲芸飛行で切り抜けた。ブロッコリーの森には、下草ブロッコリーの入れ子層があり、完成間近の国立競技場もそこに生えている。3Dプリンタによって不当に早く完成に近づく国立競技場を、私も彼も快く思っていない。その点で私と彼は、大いに意気投合している。
完成記念パーティーに出された酒のあとのご馳走は、陶器のオーブンで炊いた白いご飯だった。
藻類標本小屋
ぜひ見せたいものがある、と黒人の庭師に案内されたのは広い芝生の隅にある黒く塗られた小屋だった。持っていたノートを芝生に置き、上下に開くガラス窓を開けるのに手を貸すと、小屋の中にはさらにもうひとつ小屋がある。中の小屋から屋根を外すと、それは木の水槽だった。なみなみと張られた水はなぜか絶えず流れ、世界各地から集められた水藻が糸見本のようにたなびいている。集まってきた女子高校生たちが「わあ綺麗」と声をあげるが、暗く絡まり合う藻は美しいというより恐ろしい。
そろそろ講義が始まる時間なので、と言ってその場を離れるとノートがない。高校生のひとりが遺失物として届けたと言う。彼女に案内されて教務課に出向くと、薄い和紙をカットして作ったシールを受領証明としてノートに貼らなくてはならないと言う。安齋というアウトラインフォントの複雑な不要部分を剥がしながら、申し訳ないけれど授業が始まるからと、撚れた齋の字を無理やり手で押さえつけた。
入れ子携帯
志村三丁目の駅を降り歩いて家に帰ろうとしていると、今日は特別な日とばかり父が得意げにタクシーを止めた。白いワゴンのタクシー内部は雑然としていて、ところどころ水溜りもあり、しかも途中の停留所から人を相乗りさせようとする。丸顔の小柄な運転手は、これはバスだからしかたないと開き直る。父は携帯電話で孫に電話をかけようとしているが、なかなかかからない。僕は、携帯の茶色い箱の中から、もうひとつ小さい箱を取り出し、掌の中でダイアルをプッシュする。父はいつのまにか、大きい方の箱を棺にして中に入ってしまい、中から「まだかからないのか」などと文句を言いはじめる。バスのようなタクシーは志村坂上に到着し、そこでわれわれは降りることになるのだが、しかしこの場所は出発点より家から遠いではないか。今日は特別な日だからそれでいいのか、とも思う。