草原さんの代役で小学校の教壇に立つと、机の面が自分の背よりも高く、小学生の顔を見るためにいちいち懸垂しなくてはならない。初回の授業なのにゲストで呼んだ物理学者を紹介しなくてはならず、いきなりそれはないだろうということで生徒に「力(ちから)ってなんだろう」と質問を投げかけてみると、小さい丸眼鏡のイルカが「相手の気持を考えないでも物々交換ができる仕組み」だと答える。
rhizome: 不意の登壇
画素格子
絵を拡大していくと画素の中に絵がありその画素の中にも絵がありさらにその中にも絵がある映像を投影して、世界はこのように無限の細部があるのになんで単層のつまらない絵など描くのか、と口走ってしまう。講堂を歩き回りながら、こんなふうに煽るつもりはなかった、連画について話しているのに、このままでは収拾の見込みがない、と思い始めたところで高野明彦さんがマイクを取り、持参した試料にガイガーカウンターらしき装置をあてたので、僕はこの窮地を切り抜けることができた。装置はあちこち光りはじめるが、しかし装置がα線源に反応しないのを僕は知っている。
講堂の灯りが揺れはじめた。次第に振幅が大きくなる。僕は外に出て財布やノートを置いてきた山岳地帯のガレージをめざして走った。地すべりも始まり、ここで自分の命を優先するか荷物を優先するか、迷いながらも崖をくりぬいたガレージに来てしまう。崩落した画素の格子に閉じ込められた男がいるのを見て、荷物はもうあきらめるしかないことを悟る。
交差点交響楽団
交差点の四方に四つのオーケストラが配置されていて、それぞれに割り当てられた色がビルの看板になっている。交通整理の場所から指揮をしているのだが、僕は曲の終わりかたも知らない。ふと、機関車トーマスをデザインした女の子が、オリジナルは双子だと教えてくれた。
葬儀屋のスジナシ
建物の裏手から入るとそこはすでに舞台で、観客の目から隠れる位置に身を低く寝そべり、手には脱脂綿を握り締めているのは、自分が葬儀屋であり、なおかつ遺体でもある一人二役を負わされた即興演劇スジナシの演者だからだ。しかし、葬儀屋としての役で立ち上がり、閑散とした桟敷席の客を見ると、彼らは芝居に集中するふうでもない。どうしたらこいつらの心を捉える展開にできるのか。
HTML
自分の講演が始まろうとしているのに、何も準備がない。しかし、僕は他のことに気をとられている。今演台で話をしている有馬氏が手元のコンピュータから僕のホームページをアクセスして、聴衆の凝視する大画面に出そうとしている。僕はその前に自分のページにアクセスして、「有馬め!」というでかい文字を挿入しようと思い付いてしまったのだ。画面いっぱいに文字を出すにはhtmlをどう書くべきか考えているうちに、彼の話はどんどん先に進むし、自分の番もまわってきそうだし、焦る。
不意の舞台
公園の傍らの小高い丘の上で、われわれは待ち合わせている。しかし、隠れなければならない。丘の上に洞穴があり、そこに寝そべっている。穴のなかから見ると、出口はほんの数十センチメートルの横に伸びたスリットで、そこから出られるのか、そこから発見してもらえるのか、不安になっている。
棟をならべた向かいの校舎に、火が見える。火事だと思ってみんな騒ぎはじめるが、それは巧妙に作られた舞台の大道具で、風を含んで波打っている巨大な布と、投影機のようなもので作られていることが判明する。これはすばらしい、と言って拍手を送る。
舞台稽古が始まる。僕は主役の王様であるのに、まったく練習をしていない。そんなに台詞は多くないから大丈夫だろう。
舞台に立っている。咳払いをして、狂言風に「誰かある」「侍従はおらぬか。台本をもて」「タコクジラ、ブタゴリラはおらぬか」
うまくいったようだ。これで台本を持つ口実ができた。召し使いが台本をもってくる。あとはこれを読めばいい。
しかし、台本には細かい字で、ぎっちり台詞が書いてある。意味がわからない。つっかかって読めない。マイクロソフトなんていう単語も入っている。ここ、もう一回やらせてください。焦る。稽古を見ている観客のどよめきが聞こえる。