rhizome: 自分に言い聞かせる

木の魂を抜く

アルバイトに来た会社の長いソファで、社員の机にあったトランジスタ技術を読みながら、何を待たされているのかわからないし、担当の名前すら知らない。休憩に戻った作業服の社員たちが、「担当!」と叫んでくれたおかげで、革ジャンを着た長身の担当が、お約束のおどけた仕草で登場し、会社の奥へ導いてくれる。
製品陳列棚の奥には木工部門があり、資材置き場があり、駐車場があり、鉄門の裏口があり、山につながる小道がある。山を下ってきた作業員たちは、うっすら緑の土を被り、魂を亡くして表情がない。
僕は山を登りはじめたものの、なにか馴染めない。仕事をすると決めたわけではない、と自分に言い聞かせながらも、気づくとかなりの標高まで登ってしまった。「やすこが来た」という無線連絡が入り、谷あいの道にそれらしき人影を見たので、彼女がこの半端な状況を打開してくれるかもしれない、と思う。
石灯籠の断片に腰を下ろし、森の下草に紛れていると、前触れもなく儀式は始まった。向かいの山の数百メートルもある杉の巨木は、根本に入った切り込みが限界に達し、傾きはじめた。先端がこちらの山にかかると、木は大きくたわみ、その反動で向こうの山側に帰っていく。それらはことごとく予想をはるかに超えるスローモーションで、静止画を見ているようだ。しかし木がもう一度ゆっくり倒れこんでくるのがまさに自分の方角だと気づいたときには、逃げきれそうにないほど加速している。
伐り倒される木の内部から円筒形の「木の魂」を抜き出す男が、巨木の先端に跨っているのが見える。木の魂を括った縄のもう一端を自分自身に括り付け、木が山にぶつかる衝撃を使って魂を離脱させようというのだ。カプセル状の魂と紐づけられた男は、ハンマー投の着地のように地面を削りながら減速し、男の体もあちこちの岩に弾かれたが、彼は熟練した正社員なので死ぬことはない。

(2012年9月1日)

悪いマイクロロボット

閉鎖カプセルの中には、ゴキブリのような昆虫や、それを捕食する爬虫類などが入れられていて、「閉じた生態系モデル」にはなっているものの、殺伐としていて中を覗き込む気持にならない。会ったばかりなのに恋人のように人なつこい女が、僕がすでに恋人がいることを、会ったばかりなのに責めたて、その理不尽さと手元のカプセルにいらつきながら、このおぞましいカプセルを階段の下や下駄箱の上など、なるべく誰も気づかないところに隠さねばと思っているのだが、なかなか決断できない。
ふと自分の親指の付け根に、白くぽつぽつと芥子粒のようなできものが密集しているのを発見して寒気がする。ルーペで拡大すると、それぞれがメタルキャンのトランジスタ素子のように足を出し、それを皮膚に食い込ませている。この巧妙なマイクロロボットをひとつひとつピンセットで取り出したいのだが、しかし下手にいじると無数のロボットが拡散して体中に回ってしまうかもしれない。ここで焦ってはいけない、と自分に言い聞かせる。

(2003年1月16日)

乳首頭(ちくびあたま)の挨拶

姿形は土地の人間なのだが、自分はまったく違う世界(たとえばほかの星)からやってきたのだ。何度もそう自分に言い聞かせながら、だだっ広い校庭を歩いている。反復していないと、そのことを忘れてしまうので。
プレハブの建物がある。中には、同胞が集っている。彼らもやはり姿は普通の人間なので、お互いに確認し合うために集まっている。ドアを開け中に入ると、強力な換気扇が空気を外に排出しているため、気圧が低く息苦しい。それが同胞にとって快適な気圧なのだ。
校舎に入る。そこにいる同胞は、姿形は人間なのだが奇妙な着ぐるみを着ている。あるいは、その着ぐるみの形態がわれわれ本来の自然な姿なのかもしれない。着ぐるみの頭はねずみやリスのようで、尖った先端に茶色い鼻が無造作についている。鼻は乳首の先端のようにも見える。その鼻のような大きい乳首のような何かを、お互いに何度か口で吸いあうのがわれわれの挨拶だ。

(1996年6月19日)