rhizome: 内藤真理子

実体のない猫

真理子さんが猫を入れてきたといって差し出す布袋を逆さにすると、猫の粉がテーブルの上にふわりと広がったが、猫の実体はない。粉の中には三色の綿毛や柔らかい肉球なども混じっている。

(2015年8月10日その1)

黒パンの風景

駅西口の坂を登りつめた行き止まりの正面に、教室ほどの大きな厨房がある。持ち帰り用の窓から真理子さんと店の中を覗くと、料理人が黒い膜のようなパンを中華鍋の裏面に貼り付け、次々と焼いている。火が通るとパンごとに違う模様が現われ、膜の表面に違う場所の風景が広がる。風景のすべてのバリエーションを収めようと思いカメラを構えるが、数枚焼き終わったところでパン種が切れてしまう。しかたなく店内の調理器具にカメラを向けると、みなカンブリアンの樹につながる奇妙な形をしている。

(2015年3月21日)

棚田温泉

一人用の風呂桶が棚田のように配置された温泉で、どれに入ろうか迷っている。高い浴槽からあふれた湯が次の浴槽に流れ込むので、無造作に並んだ湯船の連鎖反応を読まないと他人の迷惑になるからだ。段々の谷間でひっそりと湯に浸かっている老人が、実は名手であることを脱衣場の噂話で知った。なんの名手だったかは、衣服を脱いだ今となってはわからない。対岸の棚田で、体毛を剃りながらふと目の合ったまりこさんが、にこやかに手を振っている。

(2013年9月2日)