rhizome: 音楽

バナナシュビドゥバ

十ある課題をクリアすれば、この巨大な建物群から抜け出せることはわかっている。八つ目までは(それがなんだったか思い出せないが)なんとか切り抜け、九つ目がいままさに解かれようとしている。それは、短い黒髪の女性を発見して救い出すという課題。肩に小さい刺青のある女性は、宗教上の理由からそれを外套で隠さないと絶対に動けないと主張する。やむなく僕は天井から縄で女性を吊り上げ、ドラム缶へ格納することに成功した。すると彼女は、次の課題の答えをまんまと教えてくれたのだった。建物の屋上伝いに、彼女の教えてくれた店にたどり着くと、暗い極彩色のペンキでぬり分けられた店内にウサギのウエイターが迎え入れてくれる。「バナナシュビドゥバ」という短調のテーマ曲が執拗に繰り返されている。この夢といっしょにこの歌を採譜せねばと、何度も頭の中で音符を書いたが、すぐに記憶が消えてしまう。

(2006年9月22日)

フォーレの耳を鳴らす

パリ郊外のとある城壁に、壁をくりぬいて埋め込まれたフォーレの生家があり、彼の遺品などが陳列されている。目の高さの棚に、フォーレの耳から取り出した蝸牛状の内耳があり、触ることができる。まだ柔らかく、ヴァイオリンの弓で弾くと螺旋上の位置によってさまざまな周波数の音がする。

(2006年3月18日)

合唱の死

鉛筆のように細長いビルの内部に、たくさんの歌い手たちが右往左往している。人と重なるようにして狭い階段を降りながら、長く伸びたひとつの声を発すると、どこからともなく半音上の音が重なってくる。いつのまにか、旋律のない単音が重なっては消えるゆったりとした和声の集団即興が始まり、狭い建物の内部に満ちる。あるとき、全体が完全五度の二音に収束し、それがたっぷり長く続く。勇気をもって、半音上の短六度を加えると、ふたたび音の束は複雑にほつれはじめる。最後にもういちど、自分にシステムの趨勢がかかる瞬間がやってきたので、自分の発していた声を半音あげると、終止が訪れ、全員の声がしだいに遠のいていった。

(2002年5月5日)

瓦礫の音楽

「音の風景を楽しむ旅」のパンフには、人の背丈ほどの低木に、ぎっしりとたかったヒグラシゼミの写真。低木の葉脈も、蝉の羽も、レースの下着のように黒く透けている。パンフを持ってきた泉は行きたい様子だが、僕は乗り気でない。こんなおしきせの観光地に行くより、壊滅した自分の家の周囲のほうがよほど珍しい音風景だから。
瓦礫の中からコイル状の円盤を見つける。青い鉄でできたコイルの一端を持ってヨーヨーのように上下運動すると、円盤はほどけたり絡まったりしながらシャーンと鳴る。崩れた建物の表面にぶつけると、コイルは彩度の高い虹色の音を放つ。このあたりの人々は夕刻になると、それぞれ見つけた楽器を手にして、錆びた瓦礫の町を鳴らしながら歩く。

(2001年9月25日)

横臥合奏

深い森の中の建物。山小屋の夜のように、たくさんの人がひしめいて眠っている。僕もその中にいる。柳沼麻木さんが巡回してきて、いきなり顔をめがけて、小麦粉のようなものを投げつけてくる。僕は抵抗しようとするが、体が動かない。これで、僕は体のコントロールが自由でないことを了解する。これは、身体障害の体験ワークショップなのだ。
僕らは、このワークショップのために作った装置を実験しようとしているのだ。横たわっている人々は、それぞれの障害に応じて、ひとつずつスイッチをもっている。部屋にはミニマルミュージック風の音が流れている。スイッチを押すと、音楽とぴったり同期して、あらかじめプログラムされたパッセージが流れる。スイッチをずっと押し続けることはできない。一定時間内に押せる頻度が決まっているからだ。
横たわった人々は、ほとんど体を動かすこともなく、静かにスイッチを押すタイミングを計っている。音楽がだんだん重層的になってくる。僕は、心臓がドキドキするのを感じる。

(1997年3月10日)