広い空き地に地下鉄の駅とレストランだけがある。僕は図書館に住んでいて、ふらっとここにやってきた。散乱している土管は、片方の口で音を鳴らすと、もう片方から5度上か下の音が遅れて出てくる。ある口から笑い声を入れると、音は散乱した土管を巡って自律的に反復的な音楽になる。レストランにトミーという男がいて、かつて名を馳せた音楽家なのだそうだが、手元にWikipediaがないので調べることができない。僕はトミーのことを知らないのを気づかれないように、話を合わせている。自分を覆っている体毛は実はTシャツなのだ、と言いながら、トミーは娘と奥さんの肩を抱いて浮かれている。Tシャツの体毛は、映像のエコー効果によって滑らかに流れている。しかしTシャツの首から見える彼の胸元は、Tシャツと同じくらい毛深い。
rhizome: 残響
天使が通る音楽
プロコフィエフ作曲「圏外のための弦楽合奏曲」が、古民家の四階にある居酒屋で演奏される。卓に貼りつけてある解説シートには「楽譜に明示されていない和音を聞くための音楽」と題されたテキストと、アンテナの立っていない圏外マークが印刷されている。
黒光りする板の間で、黒服の奏者たちは車座になって演奏を初める。ヴィオラを弾く脳科学者は、ひとりだけ普段着のままだ。声をかけると、演奏のじゃまをするなと目配せで答える。
飲み屋の客たちは競って大声で会話するので、音楽が聞こえない。大声で逢引きする密会中の男女もいる。名刺大のレジ袋を差し出してきたプチプチの川上社長に、大げさな身振りでお礼をかえす。袋の中を見ると一万円札風のイラストが入っている。
ふとすべての会話が途切れ偶然訪れた数秒間の静寂に、弦の残響のような音楽が初めて聴こえた。
トゥーランガリラの空中鉄骨
広い校庭の一角にある舗石に、Samと寝そべっている。校庭では、洋装の中高年女性たちが精緻かつ大胆な盆踊りをくりひろげている。誰がこの振り付けを指導したのか、さきほどバドミントンをした中川先生だろうか。
上空を見上げると、円筒形の巨大鉄骨構造物が宙吊りになっている。高所作業員たちは、ロープ伝いに空を行き来している。いつもはサイレンを鳴らすラッパ形のスピーカーから盆踊りの音頭が途切れると、流れ込むようにトゥーランガリラの一部分、オンドマルトノが高らかに愛の展開を歌い上げるあの部分が空を満たす。
構造物が何で吊られているのかがわからない。手品のような隠しロープが斜めに張られているのか。どこにトリックを隠したのか。
寝転がっている僕らのすぐ脇を、箱のような作業トラックがぎりぎり数センチの精度で掠め通るので、ここはゆっくり寝る場所じゃないからとSamが散歩に誘うのだが、僕はオンドマルトノが空にエコーするなか、もう少しここで寝ていたい。晴れた町をカメラを持って散歩をするイメージに惹かれながら、久しぶりにSamを長いキスに誘う。