rhizome: 紙幣

艶やかな両替

優先席に座っている老いた女が、両替をしてくれといって五千円札二枚差し出すので、僕は一万円札を渡そうとする。よく見ると五千円札は見たことのない外国の紙幣で、僕の一万円も表面が黒く焦げていて、これではどちらが悪者かわからないので等価交換にならない、立会人のもとで交換したほうが公平だと言って、駅舎を目指すが、認知症の女は脳細胞とともに年齢を欠落させているせいか、声も話題も20代の女で、艶やかにまとわりついてくる。

(2016年11月15日)

天使が通る音楽

プロコフィエフ作曲「圏外のための弦楽合奏曲」が、古民家の四階にある居酒屋で演奏される。卓に貼りつけてある解説シートには「楽譜に明示されていない和音を聞くための音楽」と題されたテキストと、アンテナの立っていない圏外マークが印刷されている。
黒光りする板の間で、黒服の奏者たちは車座になって演奏を初める。ヴィオラを弾く脳科学者は、ひとりだけ普段着のままだ。声をかけると、演奏のじゃまをするなと目配せで答える。
飲み屋の客たちは競って大声で会話するので、音楽が聞こえない。大声で逢引きする密会中の男女もいる。名刺大のレジ袋を差し出してきたプチプチの川上社長に、大げさな身振りでお礼をかえす。袋の中を見ると一万円札風のイラストが入っている。
ふとすべての会話が途切れ偶然訪れた数秒間の静寂に、弦の残響のような音楽が初めて聴こえた。

(2013年10月30日)

換金タクシー

銀行でまんまと四億円を引き出し、一刻も早くここから立ち去りたいのだが、たまたま止めたタクシーが相乗り制で、すでに乗り合わせている面々はみな怪しげな顔立ちなので、料金を払って自分だけ先に降りたいのだが、財布を忘れて現金がないというか、現金はあるのだが紙包みをほどいて紙幣をとり出すわけにもいかず、わずかに破れた隙間から指を入れて取り出した二枚の紙は米良先生の短いメッセージが書かれた葉書で、残りの紙束はすべて真っ新な展覧会の案内状であることがわかり、この葉書は四時間以内に換金しないと無駄になると乗り合わせた男に忠告されるが、見渡す限りふつうの家ばかりの住宅地をタクシーはひた走っている。

(2013年2月25日その2)

Interwallマシン

男が本屋の紙袋にかさこそと軽い音のする何かを入れて差し出し、ここはひとつ泣いてもらいたい、と回りくどい言い回しをする。袋をいくらかで買ってほしい様子。中身はどうせ本の付録にありがちな二つ折りの段ボールだろうが、そんなこと言わずにお客さん、これを買ってくれたらもれなく差し上げたいものがある、と言って取り出した掌に収まる円盤型の電子機器はフィリップス製で、表には小さいレンズ、裏には各国語の説明書き。そこには「陣地」やら「撮影」やらの日本語が見える。これはおそらく小さいInterwallマシンなのだろう。いつのまにか技術を出し抜かれて焦る気持を抑えながら、財布から小額紙幣をかき集めて三万円を作るのに苦労する。

(2001年7月8日その2)