rhizome: 死

死と学習

数ヶ月後の死を宣告され、川の上流のとある自転車修理工場で働いている。どうしてそんな暢気でいられるの、と工場の女に声をかけられる。平静は装っているだけで、今になって思えばあんなにビールをがぶ飲みするんじゃなかったと後悔もするさ。
旋盤のチャックの形をしたディスクブレーキの新技術に対応するための講習会があると言うので、出かけることにする。それを習いはじめても、数ヶ月で習得できなければ無駄になる。死を宣告されながら無駄を承知で新しいことをするのは、いずれ死ぬのに生きているすべて人々と同じことだ。そういう金言がどこかにあったか、あるいは今思いついたのか、どっちにしてもその通りだと思いながら、下流の講習会場へと自転車を走らせるのだった。

(2001年10月13日)

虫だらけ

父親と言い争っている。父親に非があることは、家族の誰から見ても明らかなのだ。僕は怒りよりも、意地悪い優越感をもっている。もうたくさんだ、とかなんとか言い放って、僕は台所に閉じ篭ってしまう。父親の情けなげな顔を思いうかべると、悲しい気持になるが、もう引っ込みがつかない。このままこの態度を押し通すしかない。台所には、ユスリカよりも大きい蚊がいて、なにかの拍子に粘着性のある面に捕らえられてしまったようだ。
階段の上で、父親の妹にあたる叔母が遠い所へ旅立とうとしている。僕はあなたのことを決して忘れない、というような感動的な台詞を言うべきかどうか迷っているうちに、事態はすっかり月並みに盛り上がってしまって、叔母は涙を流している。しまったと思う。こういうのは嫌いなのだ。
叔母の作ったポテトサラダを食べようとすると、そこには小さいナメクジのような生き物がうごめいている。別に食べても毒じゃないが、その虫がいるのは芋のところだけだから、それを取り除けば大丈夫、と叔母がしきりに勧める。虫なんか気にならないそぶりを見せるのが、叔母へのはなむけに違いないと思う。
台所の蚊は、腹の部分を高くもちあげて、産卵をはじめた。本当は、なにか対象物に産み付けるところだが、捕らえられているので仕方なく、自分の腹に卵を産み付けている。しだいに卵が堆積してうずたかくなっていく。一番はじめに産み付けられた下の方の卵は、早くも孵化が始まるのか、かすかに動きはじめている。

(1996年12月6日)

短命のカエル

その蛙は子供で、言葉を話すことができる。彼は僕の膝の上にのって、いろいろな話をした。彼といるのが楽しかった。彼は言葉を話せるのに、蛙だから寿命が短い。彼はもうしばらくすると死ぬはずだ。だから、僕は彼となるべくたくさん遊ぼうと思っている。

(1996年3月30日)

学校の鍵

みいちゃんは彼女の母親が死にそうなので病院に行き、帰ってきたところだ。死にそうなのに親戚がたくさん沸いてきて、母親の耳元でうるさいのだと言う。
僕は今日から新学期で、誰に会えるか楽しみにしている。どの服を着て学校に行こうか迷ったり、学校の鍵を探したり、そうこうしているうちにどんどん時間がたって始業時間をすぎてしまう。青いベストを探しているのだが、どうしても見つからない。母親が、それを裏返して物干しに干していて、これじゃ見つからないわけだ、と僕は怒っている。

(1996年2月24日その1)