架空階段

夜の干潟に佐々木が繰り出していることをラジオで知った。彼は、おこぜや小さい蟹などを獲りながら、どうせなら夜が明けるまで獲り続けようと思っている。その思考内容は、薄明の電波に乗って世界に筒抜けになっている。
僕は偶然を装って、どんより鈍色の朝の浜で彼に合流した。毛の生えた小さい蟹と引き換えに野菜をくれるおばさんは、浜には長い時間いるけれど、野菜を採るのに忙しくて蟹まで手がまわらないものだからと、なぜかしきりに弁解する。
砂浜の行く手に竜巻が三本、色違いの尻尾をいまにも地上に届かせようとしている。伏せたボートの中で写真を撮ろうと待ちかまえている連中がいる。無知ほど恐ろしいものはない。僕は竜巻映画を見ているので、巻き込まれたら命がないことをよく知っている。

気まぐれな竜巻の動きを注意深く見定めながら、階段や吊り橋や稜線を伝って登山口にたどり着く。竜巻を逃れて山に登るのは、これが初めてではない。いやそれは、かつて女と付き合いを深めていった過程と比喩的に相似なだけかもしれない。
標高千メートルを越えるあたりで、ある説明を思いつく。仮に一辺が1メートルの立方体の石を、画素のように階段状にずらして並べると、千画素目の石が標高千メートルである、と。すると比喩はそのまま実景になり、標高ゼロメートルからはるか上空千個目の石に、僕は震えながらへばりついている。

(2004年3月16日)