「自分の匂い」といえば、奇妙な話を耳にした。マッシュルームのエキスから抽出したある成分を飲み続けると、だんだん自分の体臭が消えていき、ついには便の匂いもなくなっちゃうんだそうだ。
なかなか想像力を刺激してくれる話だ。カビやキノコなどの菌類は、不思議な超意識をもっているような気がする。花が虫を引き寄せて交配に荷担させたり、コメが人に食われることによって子孫を増やしたり、そういう現世的な常套戦略をもった遺伝子とはちょっと芸風が違う。カビやキノコは、何を考えているか直ちには理解できないところがある。人間の匂いを消すなんていうのは、なにか底知れぬ陰謀めいたものさえ感じさせる。
ところで、匂いの良し悪しは決してマイナスからプラスに至る単純な数直線ではないし、その中間に無臭があるということでもない。インドールといえば、マッシュルームに無力化されてしまう便の匂い成分のひとつでもあるわけだが、インドールの非常に希釈されたものは香油として使われるそうだ。悪臭は過剰な芳香であり、芳香はきわどく抑制された悪臭でもある。
源氏物語宇治十帖の主人公である薫は、生まれついて持った良い香りを体から放ったという。石鹸やシャンプーの芳香からするととても信じられない話だけれど、しかしきわどく抑制された汗の匂いを想像してみるといい。樹皮や種子の放つような危ない香りが、頭の中でくらくらとくゆるのを疑似体験してしまう。
いたって行儀のよい友人のAは、ひとつだけ悪癖をもっていて、髪を掻き上げたあとで一瞬その指を鼻の近くにもってくる。その一瞬に、Aは自分を嗅いでいるのだ。咎めるほどのことじゃないけど、でもやめたほうがいいんじゃないかな、と言い出しかねて頭の中で反芻するうちに、迂闊にもその癖がうつってしまい、いつのまにかぼく自身も、匂いの自慰を覚えてしまった。自分の体を触って、手を通して匂いを確認しながら、白地図を塗り分けるように自分の匂い分布を確認する作業。これがなかなか懐かしい。
夢のようなことに遭遇するとほっぺたをつねってみる、というのは(実際にそんなことをしている人など見たことないにもかかわらず)お約束の行動イディオムだが、自分を嗅ぐのも同様の自己確認プロトコルだ。自分から発する信号を自分自身で受け取ったという acknowledge信号が、自分が継続的に自分をやっているというリアリティーの基本にある。ふだんほとんど意識にのぼらない、体内から聴こえる顎の音、舌が感じる歯の硬さ、自重を支えるかすかな痛みなども同様。とりわけ、匂いの回路は脳の奥深く突き刺さっている。そして自分が所在なくなってくると、足を揺すったり、かさぶたを剥がしたり、指をしゃぶったり、口びるを噛んだり、自分自身を嗅いだりしはじめる。酸欠に似た、自分欠状態だ。
マッシュルームに騙されてはいけない。彼らが狙っているのは、どうやらわれわれの脳髄にあるIDだ。
(Aug.1995)