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1. ハードディスクの精

『Cape-X』 Jul. 1995 掲載

安斎利洋

 

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またやってしまった。愛機の内蔵500メガバイトハードディスクがクラッシュしたのだ。4月4日の朝、それは例の法則通り油断の虚をついて唐突にやってきて、目の前の情報的生活空間をまっ更にして行った。類似した経験は何度かあるが、今度のはかなり痛かった。ちなみに、この原稿の前身もすっとんじまった。

昨年の7月に作った数枚のMOが最後のバックアップで、そのあとの約8カ月間の堆積が一瞬にして蒸発したのだ。ヴァーチャルリアリティーに没頭したあとで、HMD(ヘッド・マウント・ディスプレイ)を外したときの、あれ?ぼくってどこ?みたいなあの感じに似て、しばし呆然と立ち尽くしてしまった。

時間がたつにつれて、ほかにバックアップしてあるファイルもあったり、編集者の手元で無事だったデータも続々と帰ってきて、リハビリは順調にすすんだ。が逆に、決定的に喪失したものが何だったのかも判然としてきた。いくつかの作品、アルゴリズムの断片、原稿のメモ、おそらく1メガバイトにも満たないわずかなデータだが、しかしもうこの世のどこにもないgemsの影が見えてきた。

落胆のなか、こんな情報が舞い込んできた。O商会で、不可読になった磁気メディアを救済するサービスを仲介しているというのだ。費用は、そのドライブの定価の4倍ほど。すっとんだIDEドライブの故障が救済可能かは疑問だったが、藁をもすがりたい気持が動いた。

しかし結論から言うと、結局ぼくはそのサービスを利用しなかった。

ハードディスクの中には、開発中の製品のソースも入っている。しかし、それは秘密保守契約でリークを防ぐことができるだろう。問題は、契約でどうにかなることではない。他人が自分のハードディスクの中を覗くということが、生理的に不愉快だったのだ。

500メガが昇天するひと月ほどまえ、B誌の面白い特集企画につきあった。デジタルのゴミ箱の内容物を99Kバイトサンプリングしてきて、誌上ゴミ展覧会を行うというのだ。さて何を出そうかとあれこれ考えながら、ゴミというもののもつ奇妙な性格に気付いた。物理的な燃えるゴミの袋の中を覗かれることを想像してみればいい。そこには、腐りかけた残滓、内緒のメモ、情事の痕跡など、ありとあらゆる「自分の匂い」が未整理のまま袋詰めになっている。

アーティストは、自分の匂いをより多く作品に込めようとする。しかし反対に、あまりにも自分の匂いが込められているので、そのまま封印して自分から切り離したいオブジェクツがゴミだ。デジタルゴミも同様、捨て去られたファイルの痕跡には、出さなかったメールとか、内緒のサンプリング、変な嗜好を学習してしまった漢字変換辞書など、ペルソナのフィルターを通過していないデータが、ばらばらのセクターとなって放置されている。ゴミは、過剰な自分なのだ。

かくして、ゴミを閉じこめたまま昇天した忌まわしいハードディスクは、ぼくの机の上で、たんなる文鎮になっている。

(Jul.1995)


 

 

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