草原さんの代役で小学校の教壇に立つと、机の面が自分の背よりも高く、小学生の顔を見るためにいちいち懸垂しなくてはならない。初回の授業なのにゲストで呼んだ物理学者を紹介しなくてはならず、いきなりそれはないだろうということで生徒に「力(ちから)ってなんだろう」と質問を投げかけてみると、小さい丸眼鏡のイルカが「相手の気持を考えないでも物々交換ができる仕組み」だと答える。
rhizome: 背が届かない
砂のなかの糞
砂の入った紙袋をさげ、僕は西に行こうか東に行こうか迷っている。砂は、乾いた犬の糞を包んでいる。間違って排泄してしまった瞬間の気まずさや、誰かに見られていないかしきりに振り返ったこと、すとんと紙袋に入ってしまった偶然に驚いたことなどが生生しい記憶にあるのは、これは犬のものではなく自分のものだったからかもしれないし、自分が犬だったのかもしれない。
忽然と思い出したのは、昔がっちゃんという中学の同級生と住んでいた部屋がそのまま残っていることで、西に歩いていくとそこにたどりつけるはずだ。しかし、それが自分のことだという確信がもてないのは、がっちゃんと過ごした記憶がまったくないからだ。すでに廃屋になってしまっているかもしれない怖さもあって、西に西に歩いてもなかなかたどり着こうとしない。
この際、紙袋はトイレに廃棄したほうがよいと思い直して、駅ビルの電気店に入るが、階段の上から俯瞰する迷路のようなトイレの区画には、それぞれ人の頭が見えて空きがない。
しかたなく東に歩く。海岸に出ると、砂に埋まった男の腿の付け根を踏みつけてしまい、平謝りして事なきを得る。塩分濃度の高さのあまり、ほとんど樹脂のようになっている海の中に歩いて入っていく人に連なり、目の高さが海面になったときに、口の中のあまりの塩気に驚きながら、手に提げていた紙袋がいつのまにかなくなっていることに気づいた。これでよかったのだと、心の底から安堵する。
急勾配の隣人
家の南側に庭を造ったものの、腑甲斐ない父親は今になって隣人への挨拶をためらっている。工事してしまった後でなんて言ったらいいのか、などと口篭もっている。まったくしようがないから俺が行ってくる、と着替えをして出かけようとするが「半ズボンはやめなさい」と母親。脱ぎ捨ててあった作業服をとりあえずはくと、工事担当者に「性感帯に気をつけて」と言われる。気持の悪い男だ。
隣人宅の玄関は不自然な急勾配の上にあり、引き戸をあけると待ち構えていたようにおばさんが奥の座敷で「どれ、見に行くか」と立ちあがる。何か一言挨拶しようとするのだが、この家の床はちょうど僕の鼻あたりの高さで、しかも床から川のように水が流れてきて、口を開くと危うく水を飲みそうになる。いつのまにか我が家の庭に向かっているおばさんを追いかけようとするが、戻るのが困難なほど玄関の外は急傾斜で、しかも玄関のまわりにある棚につかまると、オロナインの白い瓶などがどんどん下に落ちて行く。こんな環境で育ったから、ここの娘は特殊な反射神経をもった運動選手になれたのだ、と思うが、しかしなんの競技だったか思い出せない。