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9. ツクバ系の人々・その2 ―ザ・ツクバ!!―

『Cape-X』 May. 1996 掲載

中村理恵子

 

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さて、ツクバ系というブランドについての続き。

ICC-Net*の住人であり音楽家であるヲノサトルさんから寄せられた、明和電機の兄弟に関するノートをまるまるいただいて、それにつづいて前回登場のモリワキさんの話も加え、ツクバ系についてさらに考証してみる。

●ヲノ証言
「僕たちの音楽『なんのジャンルですか?』とか『レコード店ではどのコーナーに?』とか聞かれて困るんですよ。で、決めました。ツクバと呼んで下さい(観客少笑)。ほらよく向こうの音楽であるじゃないですか。工業都市には音楽が栄えるってことで、モータウンとかデトロイトとか(観客大笑)」

ちなみに筑波系のみなさんの特色は、四の五の言わず手を動かす工作系と見たがこれいかに.....
       ヲノサトル

●モリワキ証言その1
四の五の言わず手を動かす工作系については、当たってると思います>ヲノさん 比較的少ない人数と、広い校舎。わりと機材が充実した工房のおかげで、みんなガンガン作ってました。あと、他に遊ぶところがないってのも要因といえるかも。原田さんなんかも、ツクバ時代には、ロボットを作ってたんだよね。その残骸が学校に残ってました(その中からネオン管をちょうだいしたのは私です)。今となってはプレミアムもののその残骸は、私が在学中に処分されました。残念。

●モリワキ証言その2(以下、ほんのさび部分)
こんなところから早く一抜けしてやるという野望の方が大きかったかな(東京にいるもんにゃあわかるまい)。ツクバ全体がハイテクのイメージで語られることが多いけれど、そうじゃない部分もごちゃごちゃしてたし、たとえば、山海塾の岩下徹さんなんかのようなアングラドロドロ系と、ハイテク系が妙に出会っていたところでしたよね。メディアに関することや、その関連に強いというのは、大学にエネルギーがあった時期と、世の中の転換期がたまたま同じウェーブにのっかったってことでしょうか。授業では実験的にビデオアートやパフォーマンスやインスタレーションをやっていたし(電子画像、身体造形、展示造形という呼び名は今でも変わってないかな?)、国立大学の正規の単位でこんなものが認められるというのはかなり画期的なことだった。そんな先取の雰囲気は、教授陣の中にもあったし、それをもろに受けて僕たちは、ちょうどデジタル技術の転換期にいたということでしょうか。
    モリワキヒロユキ

小林幸子の電飾衣装創りで鼻血がでる程忙しい彼が、ツクバ系の意地をみせて長文をボードにアップしてきた。そのおかげで、少しは、わかりかけたか?ツクバ系の謎が。現在、この話、ICC-Netにある「モリワキット事業部」で解明作業がつづけられている。今後、ツクバ系のますますのご発展ご活躍を,,,いや、ぜひ一度、いっしょにお仕事しましょうよ〜。

注* ICC-Net NTT [ICC]運営のパソコン通信ホスト局

(May.1996)


 

 

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