私は、なぜかよくいろいろなものを拾う。片方だけの上等のイヤリングや、ちょっと歪んだ指輪など。そして今回も、アジアの、とびきり上等な経験を拾った。
アジアが面白い。何年か前からか、そんなことを漠然と思っていた。インターアート 協会から北京での展覧会のお誘いをうけたのが、3月。私と連画の相棒である安斎 は、即刻その提案にOKした。「ほら、また欲しいものを拾ってしまった」
展覧会にただ作品を懸けるだけじゃ、どうも面白くないという習性が身についてし まった私たちは、この展覧会に参加するにあたって、新しい連画セッション「北京連画 Renga in Beijing 1996」を準備することにした。
せっかく北京に行くんだもの、中国の書家とセッションをしたいという私たちの意 向を汲んで、この思い付きをコーディネイトしてくれたのはインターアート協会の垂 水景さん。彼女の熱心な努力のおかげで、中国の西安在住の著名な書家である高峡氏 とのコラボレーションが実現することになった。
連画は、デジタルデータとデジタルネットワークの特性を生かして、私たちが育て たコラボレーションのスタイルだ。その純デジタルのしくみのなかに、純アナログの 達人を招き入れる、これは私たちにとってもスタッフにとっても十分に刺激的なプラ ンだった。
そして5月初旬、今回の北京連画の種となるふたつの書が、私たちのもとに届けら れた。高峡氏が北京連画のスタートとして選んだのは、甲骨文字、篆書のふたつのス タイルで書かれた「魂」という文字。私たちはその文字をスキャナで読み取り、安斎 、中村それぞれが、そのデジタル画像に対して加筆、変形などなどの操作を加え、連 画を開始した。こうやって、ふたつの第二世代目が生まれた。
私たちはこれまで、連画を通して何度も言葉の通じない人達と話をするようなコミ ュニケーションを体験してきた。しかし、それにしても漢字というのは不思議だ。絵 でもあり、意味でもある。絵だけで、言葉だけで伝えること以上のものが、そこから 伝わってくる。私たちは、まだお会いしていない高さんとの対話にわくわくした。
しかし、高峡氏にしてみても、私たちにしてみても、この第二世代までは、なんら 普段の制作作業と変わりない。高峡氏は一人で書を創り、私たちはいつもの通りデジ タル化された画像に手を入れた。問題は次の世代だ。高峡氏が、私たちのデジタル作 品をどのように受けるのだろうか。そこがこの連画のポイントになることは、明白だ った。
この、内容的にも方法論的にも未知の領域に踏み込むために、私たちはある細工を 試みた。まず、B全大の和紙に対して、ジェットグラフィー(この力強い発色で知ら れる過去のプリンタは、いまや刷り師が一人しかいない)でプリントアウトし た。安斎は、自分の作品をいくつかのパートに分解して、高峡氏が自由に選べるよう に配慮した。通訳の徐進さんを通して、この紙をどのようにしてもかまわないという 私たちの意図を、丁寧に説明する手紙も添えた。(徐進さんは、インターアート協会 のスタッフ。上海出身で横浜国立大学大学院で、言語学、比較人類学を修めた才媛で ある。)
こうやって作られたプリントを筒に入れて、FedExで西安に送り出したのが、 五月八日。およそ1週間でこれは西安に届けられるだろう。高峡氏がそれをいかに料 理するか。その報告を、私たちは何日も何日も待ち続けた。
しかし、なかなか連絡がこない。
中国の著名な書家は、このコラボレーションに嫌気がさしてしまった。相棒は、そ んな夢をみて冷や汗をかいて飛び起きたりしたそうだ。そうこうしているうちに、北 京での展覧会があと一週間まで迫ってしまった。5月20日、北京入りしていた垂水さ んから電話が入る。
「FedExの便、今日西安についたんだって! 高峡先生、これから制作に入ります」
中国は遠い国だ。
5月27日
万端とはいえないまでも、ともかく助走だけはつけ、私たちは北京に入る。日本か らのフライト時間は約4時間。時差は、わずか1時間である。
空港に出迎えにきてくれた現地のスタッフとは、言葉がまったく通じない。私たち は、このまま誘拐されるのではないかという不安をこっそりいだきつつ、「VISION QUEST 1996 北京」の会場、北京国際会議センターに無事到着する。
5月28日
西安から北京に到着した高峡さんにお会いした。そして高峡さんによる第三世代に 、はじめて出会う。
私たちの思惑に反して、高峡さんは私たちの第ニ世代作品への直接の加筆はせず、 私たちの作品の形態を取り入れ、あらたに墨と顔彩で描くという手法をとった。二点 の作品には、署名と刻印がはいっている。これは私たちのCG作品にインスパイアさ れているものの、まさしく高峡さん自身の書だ。
高峡さんはこうおっしゃった。「日本から送られたプリントをみて、仲間といっし ょに感嘆しあった。みんなで話しあったんです。これは作品だろう?何をしてもいい といってきているが、これをちぎってコラージュしたり、加筆して自由に扱っていい のもだろうか。私は、あなた達の作品を素晴らしいと思っている。だから、とてもそ んなことはできない。」
なるほど。オリジナルが1点しか存在しないアナログの世界で創作してきた高峡さ んにとっては、自然な反応だったのかもしれない。私たちは、オリジナルに傷をつけ ることなく何度でもやり直しがきき、そしてたくさんの複製をつくれるCGの環境に すっかり馴れきってしまっていたのだ。
一方会場の連画ブースでは、ペイントツール等の制作環境やインターネットへの接 続が、奇跡的に順調にセットアップを完了し、明日からのライブ連画を待つばかりと なっている。