■「北京連画」・・・イメージのメタモルフォーゼ?

安斎さん、中村さんの「北京連画」は北京の会場で既に参観させて頂きました。
水彩のような透明感のあるイメージが重なり合って、まるで生物のように変化してゆ く様は私の好みでもあり、楽しませて頂きました。

それを眺めながら考えていたのは、日本が世界に誇れる希代の碩学の大人、南楠翁の ことです。
長年にわたる海外放浪と勉学の後、帰国した翁は南紀に腰を据え、晩年は専ら粘菌の 研究に没頭したのは有名な話です。
しかし、なぜ粘菌がそこまで翁を虜にしたのだろうか、とずっと不思議に思っていま した。
数年前、粘菌が動物相から植物相へと変態をする様をテレビで見たことがあります。 その不思議さ、美しさには茫然と見とれてしまいました。
私には、生命の本質は何かなどよく解らないのですが、ただ、その存在そのものが喩 えようもないほどに驚きに満ちているものだということ、だからこそ翁はそれの虜に なってしまったのだということは、その時、一瞬のうちに感じ取ることはできたのです。
静かに脈動しながら変化・変態してゆく生命体、それは鮮烈なイメージでした。

デジタルアート、言葉自体も、またそれに取り組もうとする人たちも最近出現したば かりの新しいアートの領域です。
これから幾多の野心的な実験の後に、どんな光景を現出するのかも未知数の分野です。 しかし、既に新しい胎動は始まっていて、そのイメージはデジタル信号として世界を 包んだネットを駆け回ろうとしています。
多分、これまでのアートとは、まるで異なる果てを目指しているのでしょう。
私には、その目指すところは生命の原点、そこへの回帰のような予感があります。
コンピューターのネットの中を駆け巡るデジタルイメージが、生命そのものへの憧れ を持っている。
何だか、そんなことを、既に真夏の太陽が照り付ける埃っぽい黄色い景色の北京で、 感じたのでした。


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