■グローバリゼーション

最近では、このグローバリゼーションという言葉も聞く機会が少なくなってきました。 これは別に、この言葉が時代遅れになったからではなく、そんなことを言う必要もな いくらいに一般的になってしまったからでしょう。
それをコミュニケーションの分野で端的に体現したものが、internetにちがいがあり ません。

さて、internetです。
これは、北京での私の生活に今では欠かすことの出来ない道具になっています。
とにかく便利なものですから、新聞をよんだり、友人とお喋りしたり、雑誌をパラパ ラ捲ったり、仕事の連絡で使ったり、調べモノをしたり等々使わない日はないくらい 日常的に利用しているのですが、実は日本にいるときは、まったく使ったことがなか ったのです。
パソコン通信を始めたのさえ、数年前に長らく暮らした東京を離れて日本の西端の海 辺の街へ引っ越してからですからね。
最近では、経験もないのだから止せばいいのに、ホームページの制作企画まで引受て しまい、連日思案に明け暮れる毎日です。
それでついinternetのことを考えることが多くなってしまいました。
そうして、考えているうちにinternetというのは単にコミュニケーションの一手段と いうばかりではなくて、実は世界をどのような姿として認識するのかという高度に思 想的な意味合いを持っていることに最近遅ればせながら気づいたような次第です。

internetという情報伝達システムは米国で誕生したせいもあって、米国という国の基 本原理に忠実であろうとしているかのようです。
その一つは、世界の果て、フロンティアへの挑戦へ向かうスピリットで、これは宇宙 開発なんかを見ていてもよく解りますが、開発により限界を打破し、境界の拡大に対 して飽くなき意志を持っています。
もう一つは、米国自身が、個人の自由と機会均等というお題目(その憲法に代表され る原理主義は絶対です)を基礎に移民から創られた実験国家であるということ。 ですから、そこから生まれた文化は、普遍化、一般化、大衆化という特長を持ってい ています。
簡単に言えば、標準化による世界の統合ということかもしれません。
また商業主義と高い親和性を持っているようです。

翻って、中国のことをつい考えてしまいます。
「改革開放」以降、中国は従来の毛沢東・マルクス.レーニン主義の表看板を掲げな がらも、柔軟な思考方法で、欧米の市場経済原理を学習し、科学・産業分野の遅れを 取り戻そうと懸命の努力をしています。
この十数年来、特にこの数年の中国の経済発展の速度には、世界中が瞠目し、熱い眼 差しをその巨大市場に向け始めています。
この現状を見て驚く人が多いのには、には苦笑してしまうのです。
どうも社会主義のことを、失敗した前近代的で、時代遅れの思想のように勘違いして いるらしいのですが、共産主義の根本は科学的な社会発展の分析ですから、共産主義 と科学は実は大変に仲がよいのです。
それに中国人は元来が功利的な、現実的な思考が好きなのです。

さて、私は今、中国で最も有名な工科大学の宿舎に住んでいます。
先日、授業の合間の雑談で、漢語の老師から、この大学が近年力を入れている研究は コンピューター及び情報工学分野、それとバイオテクノロジーであり、全国から選抜 された優秀な学生の中から特に優秀な学生が選ばれてこの分野の学習と研究に当たっ ている状況を聞き、なるほどね、と納得したわけです。
しかし、中国は海外の優秀な技術や発達した管理手法は、積極的に取り入れようとし ていますが、その背後にある思想的なものに関しては、果たしてどうなのでしょうか? 具体的に、internetでいえばその特長の一つは分散管理の巨大なネットでしょうが、 中国国内ではこのネットは中国の政府、郵電部が管理するchinanetの一元管理になっ ていて、最近登場し始めた民間プロバイダーもこの傘下にあるプロバイダーに過ぎま せん。
いざ有時となれば、またその気になれば、すべての通信内容の監視は可能なようにな っていると聞いたことがあります。
internetもこの中華世界の中では、閉じた系として存在しているのです。
但し、internetの網の目には抜け穴が沢山在りますから、政府の狙い通りに「天網恢 恢粗にして漏らさず」といくかどうかは別問題です。
つまるところ、技術としてのinternetは受け入れるでしょうが、果たして思想として のinternetを受け入れるでしょうか?
これは私が、中国政府のinternetへの規制・管理に関心があるとかないとかいうこと ではありません。
internetという思想が、中国社会の伝統文化にどのような影響を与えるのか、という 興味であり、或いはまた中国の文化がその思想を消化吸収して、また別な可能性へと 発展させることが可能ではないのか、という期待であります。


もどる