■発端
宇宙と世界と私、そしてinternet。
と、大げさな書き出しを打ち込んでから、考えています。
初夏というよりもすでに盛夏、緑が鮮やかな北京郊外、宿舎の窓を開け放ち、花茶を
すすりながら、煙草を一本燻らす間に考えていたことは、別に「米国及び先進諸国の
宇宙開発が今後の世界にどのような貢献をするのか、そしてそれは個人の幸福とどん
な関係があるのか?」というような難しいことではありません。
もっと個人的な私の心にうつる外の景色のことです。
私にとっての「宇宙」は、太陽系や銀河系のことではなくて「私の知りえない、時間
と空間の連続と広がり」のこと、「世界」は、世界地図や国際連合のことではなく「
私の知りえる、人間社会が活動している場所と其処で起こる出来事」くらいの意味です。
ですから、私がいないことには「宇宙」も「世界」も存在しないことになります。
年軽の頃、船乗りを夢想し、その後は海図なき航海をしている私ですから、先学の知
見を系統的に勉強したこともなく、哲学・思想書などに親しむことも少なかったので
、私の認識水準はデカルト先生の「我思う故に我有り」のところで足踏みをしています。
ですから、本来はこんな柄にもない書き出しをするべきではなかったのかも知れません。
しかし、一旦考え始めるということは、物語の始まりを意味しますから、もう続けて
みるしかありませんよね。
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