rhizome: 撮影

トゥーランガリラの空中鉄骨

広い校庭の一角にある舗石に、Samと寝そべっている。校庭では、洋装の中高年女性たちが精緻かつ大胆な盆踊りをくりひろげている。誰がこの振り付けを指導したのか、さきほどバドミントンをした中川先生だろうか。
上空を見上げると、円筒形の巨大鉄骨構造物が宙吊りになっている。高所作業員たちは、ロープ伝いに空を行き来している。いつもはサイレンを鳴らすラッパ形のスピーカーから盆踊りの音頭が途切れると、流れ込むようにトゥーランガリラの一部分、オンドマルトノが高らかに愛の展開を歌い上げるあの部分が空を満たす。
構造物が何で吊られているのかがわからない。手品のような隠しロープが斜めに張られているのか。どこにトリックを隠したのか。
寝転がっている僕らのすぐ脇を、箱のような作業トラックがぎりぎり数センチの精度で掠め通るので、ここはゆっくり寝る場所じゃないからとSamが散歩に誘うのだが、僕はオンドマルトノが空にエコーするなか、もう少しここで寝ていたい。晴れた町をカメラを持って散歩をするイメージに惹かれながら、久しぶりにSamを長いキスに誘う。

(2009年9月6日)

廃屋火事

地面を這うように自生した金木犀の草には、橙色をした拳大の巨大な花がびっちりついている。薔薇の花を育てている小学生たちや、金木犀の写真を撮っている青年など、路地裏の人々がゆっくり時間を過ごすなか、観光客のように歩いている僕とRは異質なよそ者だ。しかもRが薔薇の花を一輪手折ってしまうので、僕は小学生たちの視線が気が気でない。
広場の縁にある二階建ての廃屋から火が出ている。上手に焼けてしまえば解体する費用が浮くので、持ち主にとっては好都合なのだろうと思いながら眺めていると、二階部分に溜まった大量の水がいっきに溢れ出して火を消してしまう。二階の窓から覗いている人形のなまめかしい首を撮りに行こうとRが言う。火事があった部屋とは思えないまっさらな畳の部屋に寝転びながら写真を撮っていると、僕のカメラはメカ部分が壊れてしまう。Rが自分のデジタルカメラから不要のカットを一枚取り出して捨てると、ポジフィルムには人形の全身が写っている。

(2006年10月6日)

プールから石切り場へ

東北本線のとある駅にたどり着くと、「打ち合わせのため」という理由で乗客全員が寂しいホームに降ろされる。小雨が降っているうえ、ホームは灰色のプールの中にあり、心の底までうすら寒い。バスに乗りかえ、石切り場の跡地らしき観光地へ到着する。あたり一面に広がる岩の削り跡が、意図せず描かれた壁画の群れになっていて、それを一つ残らず撮影したいと思うのだが、ぞろぞろと目の前を埋めるおばさんがたの頭がじゃまで、なかなか良いショットが撮れない。

(2006年9月19日)

冷凍花束

窓に差し込む照り返しが季節によっていろいろな色に変わる理由を、今日まで考えたことがなかった。大きな花壇のある隣家の住人が、明日引っ越すということで挨拶にやってきて、この家の花が季節ごとに色を塗り替えていたのかと得心する。お別れの寂しさを保存するには生より冷凍のほうがいいから、と言って凍った切花をくれた。
あの花壇はどうするのですか、と訊ねると、卒業して離れ離れになる人々が記念撮影をするのでそのままにしておくと言う。霜のついた脆い花びらを壊さず解凍するにはどうしたらいいか考えていると、卒業する人々から次々凍った花をもらい、大きな霜の花束になってしまう。
荷造りでごった返している隣家を覗くと、塀に大きな穴があいていて、その向こうに広がる極彩色の庭には、厚く塗られた半乾きの油絵具が、植物として繁茂している。

(2001年12月17日)

Interwallマシン

男が本屋の紙袋にかさこそと軽い音のする何かを入れて差し出し、ここはひとつ泣いてもらいたい、と回りくどい言い回しをする。袋をいくらかで買ってほしい様子。中身はどうせ本の付録にありがちな二つ折りの段ボールだろうが、そんなこと言わずにお客さん、これを買ってくれたらもれなく差し上げたいものがある、と言って取り出した掌に収まる円盤型の電子機器はフィリップス製で、表には小さいレンズ、裏には各国語の説明書き。そこには「陣地」やら「撮影」やらの日本語が見える。これはおそらく小さいInterwallマシンなのだろう。いつのまにか技術を出し抜かれて焦る気持を抑えながら、財布から小額紙幣をかき集めて三万円を作るのに苦労する。

(2001年7月8日その2)

とるとるとる

客である僕をまるで身内のように扱ってくれるその店で、乾杯のために出されたビールジョッキには粉状の青海苔が並々と注がれていた。粉体を飲み干すのがこんなにつらいことだとは思いもよらず、しかし特別な乾杯を飲み残すわけにはいかないので、店を出てからずいぶんたつのにまだ自分の内側に乾いた海苔の香りが貼りついている。

潮の香るこの町で、巻き針金を鉄道の操車場に届けるのが僕の仕事だ。作業服の男たちに、差し渡しが身長より大きい針金ロールを届けると、線路端の木の机になかば破棄された、あるいは不器用に展示された動物や人形などの工芸品群を見つける。青錆色に光を反射するこれらを、持って帰っていいものか、いやそれはことによると盗みになっていまうかもしれないから、やはりこれは写真で撮って帰るのが妥当だろうと、デジカメを向けてあれこれ構図を考えていると、背後に順番待ちのおばさんたちが撮影準備をはじめている。彼女らは写真を撮るにつけてもずうずうしく、さっきまで空に広がっていた綺麗な雲がほしいと一人が言うと、でもその雲はあなたがカメラで吸い取ってしまったんじゃないの、ともう一人。特売品を確保するごとく聞こえるこの人たちの言語には、撮る盗る取るの使い分けがない。

(2001年7月8日その1)