松脂イルミネーション

バス停の待合小屋で、隣に座っていた女が立ち去り際に忘れ物を残しているのに気づく。杉本くんが大声で呼び戻すと、女は感謝する風でもなく本を受け取る。「クンデラでしたね」と杉本くんが言う。足元を見ると巾着も落ちているので、あわててふたたび女を呼び戻すが、それは私のものではなく卒業した学生が放置したものだという。見れば小屋の窓の縁に同様の袋が無数に捨て置かれている。開けてみると細いやすりが何本か、松脂の粉にまみれている。
レジの外のベンチに腰かけていると、やすりの尖端で突いてくる男がいる。先端の黄色い松脂が僕の皮膚に入りこみ、盛り上がったぶんをやすりで平坦に仕上げるので、だんだん僕の皮膚が松脂に置き換わっていく。男は実家の隣で真鍮細工の家業を継いだマサミくんであった。このあたりは大開発が済んで地理がまったく変わってしまった。実際、スーパーマーケットの奥の店員用扉を開けると、コンクリートの森を隔ててマサミくんの家のそばに接続するのだそうだ。コンクリートの森には、光る線が残像のように埋め込まれている。これは何かときくと、松脂イルミネーションというイベントだと言う。Rが電話でいまどこにいるのか聞くので、たぶん実家の隣まで来ている、と言う。

(2017年9月12日)