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発売当時の雑誌広告
上位モデルの Super Tableau Premium
「1985年ごろ、当時のパソコンは16色しか出なくて、ただしその16色は4096色、つまりRGB各4ビットのパレットから選ぶというややこしい構成が主流でした。僕は明度が諧調になるパレット制約を前提にして、いろいろなグラフィックライブラリやペイントツールを書いていました。こうすると、画素の値がいろいろ演算できるようになり、プログラムとしての表現範囲が拡大します。
そのころ同じようにパソコンのCG表現に熱をあげていた小林龍生さんが「PC-9801にフルカラーのハードウェアを拡張するSuperFrameというボードをサピエンスという会社が作っているから、16色のソフトを移植してそのかわりハードをせしめようぜ、ふた組ね!」、という悪巧みをしたんですね。フルカラーは、色数の束縛から逃れる新天地に思えました。
そこでサピエンスの蓮池曜さんに出会って、そこからまたたくまにSuperTableauの蜜月がはじまりました。当時は、たとえばエアブラシをふつうに書くと画像が上のラインから合成されるように見えてしまうような貧弱なCPUでしたから、あらゆるところを整数に最適化してアセンブラで書き、またエアブラシの画素がランダムな順番で合成されるようにして認知的な効果として吹き付けているように感じさせたりして、たいへんなさわぎでした。すると蓮池さんが、エアブラシを速くするハードウェアを次のバージョンに入れたから、みたいな幸福なコラボレーションが急展開して、相乗効果でどんどん進化していきました。気が付くと、SuperTableauは廉価版から数百万円の上位版までカバーするペイントシステムの標準になっていて、1990年ごろの日経CGにあがっている静止画像の大半は、SuperTableauをツールとしてあげていました。
その後、フルカラーのグラフィックスがPCの標準になり、簡単なアルゴリズムでも十分に使えるペイントシステムが作れる時代になってきて、SuperTableauは役割を終えました。しかし、マウスドライバから出力までソフトとハードが一貫して書かれている速さとバランスは、いまもって超えるものはないと自負しています」 (安斎・2012年の講演テープより)
SuperTableauのRGB+IPR形式画像をBMPに一括変換するツール(とりあえず、ドキュメントなしの、アズイズ版です)